駐在妻の日記

世界の果てからこんにちは

観光客へのぼったくりについて

観光が盛んな発展途上国でぼったくりはつきものだ。


とくにアラブ諸国となると、現地人でも値段はその人のステータスだったり交渉ありきで変わるのが普通だ。


特に都市部では、外国人は住民でも観光客と見られ、しょっちゅうふっかけられる。


旅行案内本には、その交渉も交流を楽しみながら買い物しよう、と書いてある。

が…、その過程を面倒と思ってしまう私はつまらない日本人なんだろう…。

効率よくちゃっちゃと買い物をすませてしまいたいと思ってしまう(この国ではどうやってもちゃっちゃとはなりえないのだけど)


私は観光客がその土地の給料で暮らす現地人と同じ金額で買おうとねぎりまくるのはどうかと思う。


少し観光客価格として、イロをつけるのは、妥当なことだと思っている。


でも、住んでいる場合、そのイロはチップ程度にしてもらわないと、こちらもいちいちふっかけられて生活費の許容範囲へねぎるのは、かなり面倒。


最近ではもっぱら交渉はしない。

欲しい品物を指し、金額を聞くのではなく、まず私の金額を言う。

そこでへたな交渉をしようとしてくるならさっさと次へ行くようにしている。


現地人価格よりいい値段を提示しているし、これが私の金額なので、たいてい二人目以内で即OKとなる。


つまらないかもしれないが、私にとっては1番ストレスは少ないし、挨拶は現地語で、品物も自分で触らず見せてもらい、お茶で歓迎されたらそれには応えるし、店自体を気に入ったら色々きいて、常連となる。

(すると、店主もすぐ対応したり、率直な値段を言うようになる)


よく旅行本を読むと、言われた価格の半分から始めよう、などと書いてあったりするけど、きにすることはない。


例えばピカソの絵の値段を誰が決められるだろう。

100人いれば、100通りの答えのはず。


でも複数の店で意見をきくことは、あなたの価格を決めるさい、かなり有効だ。


パッと見て、気を引かれたものはまず、これいいね、いくら?ときく。

どこか雑さや難があればその指摘など質問する。

あくまで数字からねぎるのではなく、論理的にねぎった方がよい。



 

門番遅刻する

今の国では夜間のみ自宅に門番が必ずつく。

ちなみに前回の国は日本では危険とされていて、今回の国は観光で人気があるところ。


だから今回の国に限って門番が自動的につくことに最初驚いた。


その門番が、先日なかなか来なかった。

1時間が経過してから、警備会社に連絡し、来ないから別の人を派遣してもらうよう申し出た。


その20分後、門番が到着。

娘さんがケガをして病院につれていっていたと言う。

携帯はお金が入っていなくて連絡もできなかった、と証拠の娘さんの写真を見せられた。


警備会社の上司はカンカンで、危うく首になるところだったようだ。


その後もこの警備員、たまに遅刻する。

ちなみにこの国での遅刻は15分以内は私はカウントしないことにしている。


上司もその度カンカンで、明日にはクビでいないかもしれない、と何度も最後の別れを告げられている。


最初の頃こそその話にも付き合っていたが、そもそも私も夕方から夜は子供の世話で忙しい。


クビにするのは簡単だ。

でもそれで彼の妻子も路頭に迷うことになる…。

彼がいない間に問題が起こらない事を祈るばかりだ。


海外出産

2人いる子供たちは、海外で産んだ。

よく国籍を聞かれるけど、両親ともに日本人なので、日本オンリー。


産む国が血統主義ならどこで産んでもかわらない(日本やフランスなど)。

逆にアメリカやスイスならその国で生まれれば国籍ももらえる。

(その分、臨月での入国は厳しいかもしれない)


一人目は滞在していた先進国で、二人目は臨月まで途上国で過ごし、出産のみ近隣の先進国へ行った。


日本は世界的にみて、素晴らしい出生率を誇っており、妊娠•出産ともにかなりよい環境である。それと同じくらい出生率がよいのがフランスである。


途上国から出産のみフランスへ行く場合、突然の受け入れは不可能なので、事前に最低2回みてもらう必要がある。

また日本と同じくパリなどは産院不足なため、妊娠初期に産みたい病院を予約する必要がある。


よく聞かれる無痛分娩については、フランスでは一般的なので、産院では24時間麻酔医が待機していている。

日本のような計画分娩でなく、自然の陣痛が始まり、子宮口が開いてから、麻酔を受けたいか、ここで希望をきかれる。

そして陣痛で痛いなか、合間をぬって背中に麻酔の管をいれる。

あとは痛みを感じれば自分でボタンを押して一滴ずつ麻酔を入れる…というセルフサービスとなる。


ただし、麻酔医の腕によってかなり差があり、1人目は半身のみしか麻酔がきいてない…なんて悲惨なこともあった。

(1人目は公立の病院で産んだ)


やはり病院によって同じ国でもかなり差があるので、いくつか見学した方がよい。

(費用も全く違う。これは同じ病院でもドクターによって違い、病院を予約する際、ドクターも指名する仕組みだ。)


母乳に関してはフランスでも勧められているが、産後母乳にしたいか、ミルクにしたいか希望をきかれる。

母乳を希望すれば、授乳指導、ミルクを希望すれば、母乳が止まる薬を処方される。


さすが自由の国、母の意思が全て優先される。

ただし、計画分娩に関しては、帝王切開でない限り、慎重なように感じた。

私の医者は陣痛促進剤はなるべく使いたくないようで、早めの出産を希望した私は、毎日先生にぐりぐり刺激されるという古典的な方法で自然陣痛を待った。


産後は問題がなければ4日ほどで退院し、その後は乳児健診が2週間後、一カ月後…とあり、予防接種もその際打ってもらう。

この辺は6種混合ワクチンなので、日本より楽かもしれない。(でも日本より打たなければいけない内容が多い)

また接種前は痛みを和らげるパッチをはり、接種後は熱さましを飲ませるよう処方される。

全てにおいて効率的な感じがした。

転園した

なんと先日初日から疑問のつきなかった幼稚園をついに退学してしまった。

とっとちゃんの世界だと思っていたら、

明日は我が身(と息子)だった。


とにかく色々あって、


私は日本ではモンスターペアレンツとなるのかしら。


特に子供は幼稚園を嫌がっていたわけではない。

むしろうちの息子はどの学校に行っても学校大好き、先生好き、なタイプ。

問題は親の私が様々な点で疑問を覚えてしまい…思い切って転園してしまった。


まず、年少さんなのに、先生が毎日ハイヒール、クラスに男の子は息子だけ、園長は常に不在…これがトップ3の理由でしょうか。


新しい幼稚園に通い始めて数週間、息子の反応は何も変わらず(!)、学校好きっ子。

本当に全てをすんなり受け入れるその能力は、3歳児のなせる技かもしれないけれど、尊敬する。


前の学校は、外国系の幼稚園で、今は現地系の幼稚園。

設備は前にかなわないけど(学費その分払っていたし)、暖かく見守ってくれる現地の幼稚園で良いかな、と一カ月真剣に考えた結果思ったのだった。



オープン頓挫

某巨大外資がこの国に上陸、

今日いよいよオープン!

カタログはポスティングされ、町中そのお店の広告だらけ。

みんな首を長くして待ち、期待は最高潮。


なんと、オープン前夜にお店の許可取り消しが決定した。

今後許可がおりるかは未定、オープンは前夜に頓挫。世界企業なのに。

みんな、朝刊の一面を見て、びっくり!


しかも更に奇妙なことに、彼らのhpもFacebookも、ずーっと何事もなかったように商品の宣伝を引き続き更新している。

それに関するコメント、詳細を求める声もスルー。

意味不明すぎる。


もう全ては出来上がり、商品も、従業員も整っている。ハズ。

でも彼らがオープンすれば、これまで独占だった自国企業2社の存在がかなり危ぶまれる。


なんせ、その自国企業のコンセプトからロゴ、商品の見せ方、デザイン、全てはくだんの某大手外資のパクリだったのだから。


それで、クオリティの高い本家本元が、ほんの少し現地企業より料金が高い程度で商品を提供してしまったら…。


ちなみに許可が取り消された理由は、法律に触れる点があったとのこと。


それ、今更?

開店前夜までわからなかったの…?

というよくわからない自体。

残念すぎる。



石油って

石油大国の多くはイスラム教の国だ。

イスラムの神アッラーには、本当に何かが見えていたのかと思うほど。

 

私が住んだ2つのイスラムの国は、言葉も気候も人種もすごく似通ったところだったが、

決定的な違いは、石油が出るか出ないかだ。

 

石油が出る国の人々は、基本働く意欲がかなり低い。

最低限の生活は、石油で潤っている政府から保証されているし、

政府の政策としても、石油さえあれば、観光客にこびる必要も、

輸出できるような製品や名産を作る必要も、外資を誘致する必要もない。

鎖国したまま、今の生活をキープできるのだ。

 

彼らにとって一番大切なのは、信仰、次に家族、そのずっと後に仕事、のように感じる。

子供が病気になったらお父さんも仕事を休んでしまうし、そもそも仕事をしない男の人も多いし、

ラマダンだから働かない、ラマダンが終わったらラマダンで疲れたから働かない、といった具合で、またキツイ仕事はやりたがらず、総じてプライドが高い。

問題をお金で解決というのは通用せず、仕事をクビになることもあまり恐れず、自分の好きなようにする。

 

そもそもたくさん働いて、プラスアルファのお金を得たとして、

それを使う先がない。

買うものもないし、お金がいる娯楽もない。

(彼らのもっぱらの娯楽はおしゃべりで、公園やカフェで男性陣がずっとおしゃべりしている。週末や休暇は親戚や友達の家を訪ねたり、招いたり)

だから、たくさん稼ぎたい、もっとほしい、と思う気持ちも少ない。

 

逆に、もっとほしい、とお金に卑しいのは、石油や土地持ちなどの桁違いのお金持ちたちだ。

彼らは一年のほとんどを海外(先進国)で暮らしている。

もう十分、信じられないほどの利益が定期的にふところに入るはずなのに、

ほしいものも、ハイクラスな生活、子供達も(もちろん海外の学校へ)、無限だ。

 

逆に、石油が出ない国では、製品では先進国にかなわなくても、

地産のもの、民芸品を現代でも使ってもらえるようにアレンジしてみたり、

子供のうちから学校もそっちのけで職人としての技術を学ばせていたり、

(そして識字率がとても低い…)

外国人にお金を落としてもらえるよう、観光地として整備したり…という感じだ。

 

でも観光客がくることで、スリなどの軽犯罪は増えるし、外国人のためにお酒の販売などもせざるおえず、その結果現地の人々にも浸透し、アルコール依存症や酔っての喧嘩などが増える。

 

物事はいつも表裏一体で、絶対的に良い事も、悪い事も、全く存在しないのだ。

 

 

ないものねだり

夏季休暇の3日と現地の祝日をあわせて、休暇へ。

またまたパリ。

ほんの数ヶ月ぶりなだけなのに、

サイズアウトした子供達の服や靴、現地にない日本の調味料など、見るもの全てが素晴らしく見えてしまう。


以前フランスに住んでいた頃は、日常的に目にしていて、特に買わなくても満足していた。素晴らしいものを見たり触ったりしても、家の中はとても質素だった。


が、めったにお目にかかれない今、その美はあまりに眩しくて、ぜひ家にもって帰りたい、いつも見つめていたい、と願ってしまうのだ。

専業主婦の今、身の丈にあわない、我慢しなければ、と思うのだけど。


もともと美しいものに目がなくて、物欲も若い頃は更にあった。

ものがあまりない国にきて、店に入っても手ぶらで2分で出てくるようになり、寂しい反面ホッとした。

が、外国に出たときの落差ときたら…目がくらくらしてしまう。


前の国には、緑がなくて、砂地だったり工事途中の建物がいっぱいで、

私はせめて家の中にオアシスを作ろうと、荒れ果てた小さな庭を緑にすることに精をだしていた。

土と肥料を入れ、芝生の種をまき、次は花を植え、バラを移植して、外の公園よりいつもずっと緑だった。


今住んでいる所は、緑がたくさんある。

舗装されていない砂地もたくさんあるけれど、町にも緑がある。

緑を日常的に見るようになった私の小さな庭は、手入れがおろそかになっている。

前は、遠いところまで、苗を探し回っていたのに。


現在引っ越したばかりでなかなか家の中がガランとしている。

しばらく海外旅行はなんとか避けよう。